「ラ・メール」「ペンギン・クエスチョン」「80年代」

詩人ぱくきょんみの広範な執筆領野は、二十年来のエッセイを編んだ『いつも鳥が飛んでいる』(五柳書院、2004)の刊行をもって、一般の読者に認められるところとなったと言ってよい。裏を返せば、ポジャギの写真にくるまれたこの本を編集された小川康彦さんの辣腕によって、二冊の詩集と一冊の随筆集(当時)に隠れれて知られざるにとどまっていた詩人が残した軌跡は、ある程度限定された、ということもである。二十年もの間、同じ数誌に書きつづけることは却って難しいから、初出の場が多様なことに別段驚かなくてもよいのではないか。こう問う選択も、可能的ではある。ただ、ぱくさんが編集者でもあるという事実と、そして小川さんが説得的に成し遂げたと推測される探索によって、個人がその成果を補填する試みは、あまり「成果のあがらない」結果(つまり、生産的ではない)が待っているのだろう。ひょっとすると書誌はすでに出来ているかもしれない、と私は夢想する。

ざっと以上が、80年代における詩人の詩やエッセイを三誌に限って図書館で調査した感想になる。その雑誌とは、「現代詩ラ・メール」(書肆水族館・思潮社〔発売〕、1983-93)、「ペンギン・クエスチョン」(現代企画室、83-84)、「80年代」(野草社・新泉社〔発売〕、80-90)。


「現代詩ラ・メール」は、新川和江と吉原幸子の両氏が編集に携わり、47号まで続く間、多くの女性詩人たちに発表の場を与えた(男性詩人による寄稿もある)。各号の特集を主題として、各々の詩やエッセイが編まれるが、「現代詩手帖」より少ないか同じ程度の頁数のなかで、二段組をせず、毎号かなりの詩人を紹介している。


・詩 約束
第1号(作品特集=女性詩・水平詩)、1983年7月1日、128-129頁

・エッセイ 今日も一日ごくろうさん
第3号(特集=現代の相聞)、1984年1月1日、80-81頁

・詩 風船
第8号(特集=少女たち)、1985年4月1日、66-67頁

・詩 思いだそうとしたけれど――練馬区早宮
第17号(特集=街へ――何が見えるか)、1987年7月1日、40-41頁

・エッセイ ことばの向こうに――がートルード・スタイン『地理と戯曲』をめぐって
第21号(特集=女と男)、1988年7月1日、126-133頁


「ペンギン・クエスチョン」の編集人は中西昭雄。現代のかわら版と称した同誌は、表紙に見える「報道・評論・解説・冗談」の四分野も示唆するように、文芸誌とも括りがたいかなり雑多な情報誌。政治を扱いながら月刊誌でこんなに寄稿者に幅のある雑誌もめずらしい。休刊号の特集は「秩父事件百年記念」。書体構成を含むデザインに府川充男がかかわった創刊準備号および創刊号と、それ以降の号では、まったくと言わずとも、かなり質的な違いが感じられる(創刊準備号の誌面は、築地電子出版で確認可能)。岡崎乾二郎も、コーナー内のオブジェ制作で参加しているほか、編集部の原田信一の文に浜田洋子がイラストを描いていたりするのもユニークなところ。


・インタヴュー 異国籍の生活の中で 「わからないこと」を大切にしていきたい
第0号(通巻1号)、1983年5月25日、45頁

・エッセイ ダイナマイトばこにしこんだもやし――安本末子『にあんちゃん
第4号、1984年1月1日、30-31頁
□イラスト=岡崎乾二郎


・BACKBONE......PENGUIN(ペンギン・アイ)
第1号、1983年10月1日、81頁
□作品制作及びデザイン=岡崎乾二郎

・HANGER/PENGUIN(ペンギン・アイ)
第2号、1983年11月1日、77頁
□制作=岡崎乾二郎

・私は、大衆の味方です(ペンギン・アイ)
第7号、1984年4月1日、56頁
□制作=岡崎乾二郎、写真=勝山泰佑

・とまり木(ペンギン・アイ)
第9号、1984年6月1日、68頁
□制作=岡崎乾二郎、写真=勝山泰佑


「80年代」は、たとえば今日の「ロハス」にも認められるような、60年代以降の政治のエコロジカルな転回と精神主義(そして児童教育)の折衷を地でいった一つの雑誌だと言えるだろう(90年代に入ってから、「自然生活」と名を改める)。そのことは創刊から津村喬が編集に参加していたことに象徴的で、自然回帰の傾向がバックナンバーが新しくなる程深まる印象を持ったが、80年代前期〜中期には李銀子や真木悠介も寄稿しているなど、雑誌として開かれていた一面もある。


・エッセイ いま、女は〝女〟の真似をするけれど
第16号(特集=私のエロス)、1982年7月1日、20-25頁
□朴京美名義。


一篇の詩やエッセイに「すべて」を見通すためのすじみちがない以上、詩人の仕事を断片的に追うことはそれ自体トポスとしてあらしめるために、抜け穴や細い道を縫うように、別の場へ接ぎ木されてしかるべきだろう。